ぎょしゃ座の神話・伝説 |
ヒッポリュトスの死 (ローレンス・アルマ=タデマ) ぎょしゃ座は、アテネ王・エリクトニウスや馬車の名手・ヒッポリュトスがモデルだと言われています。 この絵では、暴走した馬車にヒッポリュトスが引きずられている様子が描かれています。 |
アテネ王・エリクトニウス 冬の夜空に一番早く上ってくるのが、ぎょしゃ座です。 ぎょしゃ座は五角形に見える大きな星座で、星座の中を天の川が横切っているので、ぎょしゃ座はたいへん美しい星座です。 また、一等星のカペラがあるので、見つけやすい星座でもあります。 ギリシャ神話に伝えられているぎょしゃ座の神話は、アテネ第三代の王・エリクトニウスのものです。 エリクトニウスは聡明な王様で、善政を布き、人々からも広く慕われていました。 しかし、エリクトニウスは生まれつき足が不自由で、全く歩くことさえ出来ませんでした。 それでも馬に体を縛り付けて、数々の戦闘に参加して、武勇にも優れた王様でした。 また、エリクトニウスは広い知識や発明の才能ももっていて、やがて工夫を凝らした車椅子のようなものを作り上げました。 普段の生活ではもちろん、戦場においても自由にそれを操り、多くの戦功をあげて兵士達を驚かせました。 その英知と勇気を称えられ、ぎょしゃ座となって夜空に上ったと伝えられています。 また、ぎょしゃ座のα星・カペラは全天で六番目の輝きをもつ明るい星ですが、この星はエリクトニウスが抱いている仔やぎの部分になっています。 何故仔やぎを抱いているのかは伝わっていませんが、ギリシャ神話では、大神・ゼウスがまだ赤ん坊のとき、父であるクロノスが子どもたちを呑み込んでしまいました。 しかし、ゼウスはアマルテアという乳母に助けられ、イダ山の奥に逃れてヤギの乳で育てられたと言われています。 このことから、ヤギは幸運をもたらしてくれるシンボルとされていて、カペラはラテン語で「牝の仔やぎ」を意味しています。 ところで、ぎょしゃ座のモデルは、太陽神・アポロンの息子・ミュルティロスであるとも、馬車の名手・ヒッポリュトスとも言われています。 ヒッポリュトスは、アテナイ王・テセウスの息子で、アマゾン族のヒッポリュテ(メラニッペーともアンティオペーとも言われています)との間に生まれました。 成人した彼は、森の中で狩猟などをしながら生活していましたが、ある日、継母であるパイドラに求愛されます。 その頃、パイドラはテセウス王の后になっていたこともあり、ヒッポリュトスはこれを拒みます。 パイドラはこれを恨み、テセウス王に讒訴したのち、自殺してしまいますが、テセウス王はパイドラの言ったことを真に受け、息子であるヒッポリュトスを恨みます。 そして、訳あって、海神・ポセイドンから与えられていた三つの願いが叶えられることを利用し、テセウス王はヒッポリュトスに死の呪いをかけてしまいます。 その願いは聞き入れられ、ヒッポリュトスが海岸沿いを馬車で走っていたとき、ポセイドンが遣わした怪物が海から現れます。 馬たちは大いに驚き、暴れだし、ヒッポリュトスは馬車から投げ出されてしまいます。 ヒッポリュトスは無残にも亡くなってしまいますが、このヒッポリュトスが、ぎょしゃ座のモデルになっているとも言われています。 このページの先頭へ |